
旅の途中の独り言(徒然なるままに、、、)
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■2003年12月 オランダ/アムステルダム
「アンネ・フランクの家」を訪問する。ナチスのユダヤ人迫害中、アンネの隠れ家になっていたところが博物館になっている。映像資料が効果的も使われていて興味深い。出口のところには各国語に翻訳された「アンネの日記」が展示されている。アラビア語はあるのかな、と思って探してみると、、、ありました。しかし、裏を見るとヘブライ文字が。。。どうやら、イスラエル人が翻訳したものらしい。アラブ人はアンネの日記はどんな感想を持つのだろう。「ユダヤ人の迫害の歴史には同情をおぼえる。しかし、かと言ってユダヤ人がパレスチナに入植する理由にはならず、さらにパレスチナ人を弾圧する理由にはならない」といったところか。
■2002年9月 ヴァティカン市国/サン・ピエトロ寺院
人の心を揺り動かす圧倒的な力、なんだか無理やり説き伏せられるような圧力を感じる。この力で、世界にカトリックを広げることに成功したにではないか。やはり人の心をつかむには、問答無用で感情を制圧できるような装置が必要で、地方にでもある立派な教会はその役割を担ってきたのではないかと感じる。
■2000年7月 グルジア/トビリシ
旧ソ連時代、グルジアは「いい男」で有名で、モスクワからわざわざ男探しに来る女性もいたらしい。思い切って総じて言えば、決して美男、というわけではないが、立ち振る舞いがかっこよく、接していて気持ちのいい性格の人が多いのは確か。しかし、酒を飲むときにとことん飲むのには参った。。。ちなみに、旧ソ連時代、「いい女」のほうで有名なのはアルメニアだったとのこと。
■2000年7月 アゼルバイジャン/バクー郊外
ゾロアスター教発祥の地と言われるアテシガ寺院がバクー郊外のスラハーニーにある。寺院の中には火を祭るところもあるが、今はガスで火を燃やしている。あたりは油田に囲まれていることを考えると、かつては石油が自然発火していたのではないかと思う。一部は博物館らしく、当時の様子を再現した人形がおいてあるのだが、顔つきが妙にインド人っぽかった。
■2000年7月 アルメニア/イェレヴァン−イスタンブール間
最悪のフライト、アルメニア航空に乗る。出発が1時間遅れたのはまだしも、出てきたのは軍用を転用したと思われるプロペラ機。元々はジェット機の予定だったはずなのに。機内にはエアコンもなく、離陸まではとにかく暑い、そして、空に上がるとめちゃくちゃ寒い!しかし、機内食はおろか水のサービスさえも出ない。結果、1時間ほどのフライトの予定が、3時間かかって到着。着陸の瞬間、乗客から添乗員に対して非難の嵐。まあ、当然か。
■1997年2月 ミャンマー/メティーラ
高校生の女の子に日本語で話しかけられる。ここは第2次世界大戦末期、インパール作戦の失敗で膨大な数の日本兵が死んだ場所。ここには生まれ変わりを信じる人たちがいて、日本兵の生まれ変わりかもしれない子供たちに日本語を教えているとのこと。
■1997年2月 ミャンマー/インレー湖
ガイドの勧めで首長族の村に行く。しかし、完全に観光客用の家になっていて、首長族の人たちも完全に見世物状態。なんだか悪いことをしてるような気がして、すぐに立ち去ってしまった。
■1997年2月 ミャンマー/マンダレー
日本語を話すおじいさんに会う。「日本語を兵隊さんから教わりました」というおじいさんの言葉は、なんとなく、当時の日本語の発音、アクセントが残っているようで、とても不思議な感じがした。
■1997年2月 ミャンマー/ヤンゴン
日本に留学していたというミャンマー人に会う。民主化の話になると、「でもね、この国の人たちは別にそんなものは求めていないんですよ」とのこと。西洋的価値観に染まった人たちが騒ぎすぎているのかも、という気がしてくる。
■1996年3月 韓国/江華島
行ったはいいが、帰りのバスがないのに気づき、町までの20キロの道を歩いていた。途中、トラック運転手のおじさんが拾ってくれる。日本人だということを伝えても、いやな顔ひとつせず、ソウルまで送ってくれた。韓国人の親切心に感動。感謝。
■1995年8月 ラオス/ヴィエンチャン−ルアン・プラパーン間
陸路はゲリラが出る可能性があって危険とのこと。国内線で飛ぶ。飛行中、機内には白い煙がずっと出ていてとても怖かった。エアコンの調子が悪かったのか、どこかに穴が開いていたのか。。。
■1995年8月 ラオス/ヴィエンチャン
革命博物館の中に、ホーチミンの胸像、そしてその後ろにマルクス、レーニンの肖像画がかけられていた。出口の売店ではラオスの布が売られていて、値段はタイ・バーツで書かれていた。政治はベトナム、経済はタイの影響下にあるラオスの現状を垣間見たような気がした。
■1995年7月 カンボジア/プノン・ペン−シェムリ・アップ間
川の上を高速船で行く。船の屋根の上に座ると風と日差しが気持ちいいので、到着までの間の約6時間、ずっとそこにいる。結果、熱射病にやられる。。。風のおかげで体感温度は低くても日差しは強く、しかも、船の屋根と水面からの照り返しで相当な量の日光を浴びていた、と後から気づく。宿で苦しんでいると、後から来た日本人客も同じようにやられていた。
■1995年7月 カンボジア/プノン・ペン
「バックパッカーがバックパックを捨てるところ」との意味が分かる。買春や大麻がただのような値段でできる。そこに沈没する日本人の多さに驚いた。なんとなく、活気の中に世紀末的なにおいがした。
■1995年7月 タイ/バンコク
芸術的な詐欺に会いそうになる。王宮の近くでタイ語で時間を聞かれ(ポイント1)、
分からないでいると「いやー、日本人だったのかい?ごめん、ごめん」などと笑顔で話かけてくる。そして自分はアユタヤからバンコクに宝石を買いに来たと言う。持っていた地球の歩き方のアユタヤの地図には自宅の場所を書き込み(ポイント2)、
そして、その日の夜にはムエタイを見に行こうという(ポイント3)。
しかし、まだ時間があるので自分も買った宝石の店に行ってはどうかという。考える間もなく、通りがかりのバスに乗せられる。「あ〜あ、宝石なんか買うわけないから次で降りよう」と思ったら、タイ語で話かけられる(ポイント4)。
また分からないでいると、「いやー、足元に切符が落ちてますよって言いたかったんだ。日本人だったんだね」と言われ、いろいろと話かけられるうちに宝石屋の前に。その人物からも「ここは有名な店だよ」と言って中に入れられてしまう。ここまで流れるような連携プレイ。
さすがにおかしいと思って外に出たけど、多額の金を騙し取られた人は結構いたらしい。これまでの諸々のポイントは全部こっちを油断させる知恵。うーん、お見事。夜、ムエタイの約束をした最初の人物との待ち合わせ場所に行ってみたが、案の定、いなかった。
■1992年8月 エジプト/カイロ
エジプトの下町を歩いていると、日本の歌を歌いながら歩いてくるあんちゃんに出くわす。歌ってる歌は「踊るポンポコリン」。怪しいことこの上ないが、本人は真剣なのがおかしかった。
■1992年8月 イスラエル/ガリラヤ湖のほとり
イスラエル人考古学者と日本人考古学者が、発掘現場から出てきた人骨の扱い方で口論。イスラエル人にとってはただの物。日本人にとっては特別な意味を持つもの。死生観の違いを見た。