中国
〜 旧満州、撫順の町 〜
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1996年7月、 モンゴル訪問の後、再び北京に戻り、 中国東北部の町、撫順を訪れました。 かつて、この地域が満州と呼ばれていた頃、 多くの日本人が住んでいました。 (左の写真は撫順の駅前の様子) |
| 町中の風景 ハングルの看板もあり、 朝鮮系の人々も多く住んでいます。 |
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「平頂山」 1932年9月16日、日本軍は撫順郊外の平頂山村民を 大量虐殺したと言われています。 当時、日本が「満州国」支配下の撫順炭鉱を経営していました。 9月15日に抗日ゲリラが撫順炭鉱を襲撃しました。 これに対する報復として、中国側の主張によると、 およそ3000人が虐殺されたとのこと。 中には虐殺の後が生々しく展示された資料館があります。 |
| 「撫順戦犯管理所」 もともとは昭和11年(1936)日本が建設。 当時は「撫順典獄」と呼ばれていました。 1950年2月以降、日本軍や満洲国そして国民党軍の 戦犯約1300人を収容し「撫順戦犯管理所」に改称。 ラストエンペラー(愛新覚羅溥儀)もここに収容されました。 |
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露天掘りの炭坑。南北6キロ、東西2キロもあるという。向こう岸はかすんで見えないほど大きい。 一番深いところは地表から280メートルも下になっています。 |
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石炭を積み出すための線路がらせん状に 何重にも引かれています。 石炭の産出量は近年、減りつつあるとのこと。 この後、再び北京に戻り、 洛陽、西安、西寧、ゴルムド を経由してチベットに向かいました。 |
(1996年7月)