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ネパール・インドの旅 (1995年12月13日〜1996年1月14日)

 


 

【日程】    12月13日 関西空港発 ネパール/カトマンズ着 → バクタプル、ナガルコット、パタン → チトワン → 

ポカラ → ルンビニー、カピラヴァストゥ → インド/ヴァラナスィー → サールナート → ブッダ・ガヤー →

ネパール/カトマンズ → 1月14日 関西空港着

                           


<ネパール編>

 最初は大学院のゼミの活動の一環としてネパールを訪れた。

 そして、「それではよいお年を。」 そう言ってみんなと別れたのが12月23日の深夜。

 

 以後、単独行となった僕はインドのヴィザをカトマンズで申請し、それが出来るまでのあいだ、チトワン国立公園(ソウラハ村)に行ってジャングルを歩き、象に乗った。そしてインドのヴィザを取ったら今度はポカラへ。そこから5泊6日のトレッキングに出かけ、ヒマラヤの温泉につかりながら年を越した。

 

 ポカラからはタンセン経由のバスでインド国境に近いバイラワヘ向かう。バスはタイヤを鳴らして突っ走る。日光いろは坂も真っ青の急カーブを幾つ越えたか覚えてない。着いた頃には皆ふらふらで顔色のすぐれない人もいる。バイラワの町外れでローカルバスに乗り換え、ブッダ生誕の地、ルンビニーを目指す。出かかってたバスに飛び乗って車内を見渡した瞬間、まわりの人たちの顔を見てインドが近いことを実感する。

 

 ここまで南にくるといろいろと環境が変わってくる。まず、昼間はけっこう暑い。夜は蚊が多くてうっとおしい。チベット色が薄れる。ヒマラヤははるか彼方に遠ざかる。何よりも驚いたのはブッダ生誕の地だというのにところどころにモスクがあること。地元の人に聞くと、この辺りにはごくわずかながらイスラム教徒がいるとのことだった。また、田舎のルンビニーには宿が少ない。ダムシャーラー(巡礼宿)に泊まろうとしたらチベットの僧侶たちでいっぱいだった。何かの祭りをやってる最中らしい。そう言えばカトマンズのボダナートにこの祭りの広告が貼ってあった。ルンビニーは田舎で寺院の遺跡以外にほとんど見るものはない。しかし、なんとなく気に入ったのでだらだらと滞在を延ばす。近くの村まで歩いていったり、お茶を飲みながらぼーっとしたり、カトマンズやポカラ、トレッキング中の山村とはまた違ったネパールがここにはある。

 

 ルンビニーからさらに西へ、超オンボロバスに乗る。エンジンをかけるときには乗客が何人か下りて押しがけしないとかからない。2時間揺られて、と言っても30キロ足らずの距離なのだが、ブッダが出家前に過ごしていたカピラ城の遺跡(ティラウラコート)のあるカピラヴァストゥに到着。遺跡は町からちょっと外れたほんとにのどかな水田地帯の真ん中にある。帰りのバスの中、隣に座ったおじさんは日本人に興味があるらしくいろいろ話しかけてくる。彼は日本で今何が起こっているか、新聞を読みながら教えてくれた。

 

<インド編>

 今度は国境の町スノウリへ。この町はネパールとインド、両方にまたがっている。両国の人はヴィザがいらないのでトピーを被った人やターバンを巻いた人が自由に行き交う。イミグレーション・オフィス(入国管理局)もバザールに埋もれていて分かりにくい。国境のゲートは開けっ放し。緊張感は全然ない。インド側に入ってから夜行バスの切符を買う。バスの出発まで時間があったので夕食を食べようと思い、町の人に食堂はどこかと尋ねるとネパール側に戻れと言う。もうヴィザはないのにと思いつつ密入国。食事を済ませ、インド・ルピーでお金を払う。この辺りはどっちの通貨も流通している。

 

 間違って1本前のバスに乗ってしまった。しかし、そのバスは2時間ほど走ったところで故障、再起不能となる。多くのインド人たちには慌てた様子もない。よくあることなのか。当然、少し待つと本来僕が乗るはずだったバスがやってきたのでそれに乗り換える。2台分の乗客を詰め込んだバスは満員だったが、親切なインド人の若者とその従者らしき人が乗客唯一の外国人だった僕を気遣って席を取ってくれた。ネパールにいるときよくインド人は悪い奴が多いから気を付けるように言われたが、今度はインド人である彼ら自身からもそう言われた。その若者は大学で英語を学び、父親はネパールで会社を経営しているとのことで、彼の身分は高いほうなのだと思われた。早朝、まだ暗いうちにヴァラナスィー(英語名ベナレス)に到着する。暗いうちは危ないからと、彼らは夜明けまで一緒に待ってくれた上に安くて良いホテルまで紹介してくれた。

 

 カースト制度の根強く残るインド。結果として学んだのは、その中で生きる人々は同じ国民であっても同じ国民とは思えないほどあらゆる面で多種多様であるということ。生物学的に同じ人種であったとしても、育ってきた世界は外国人以上に違うのかもしれない。 ヴァラナスィーはヒンズー教の聖地中の聖地。ガンガー(ガンジス河)に添ってガート(沐浴場、場所によっては火葬場)が並ぶ。日の昇る河の東側は不浄の地とされており、見渡す限りの荒野である。ナイル河の西岸に王家の谷(ルクソールにある王たちの墓)をつくり、日が沈む方向に死者の国を見た古代エジプト人とは逆の発想だ。毎朝ボートに乗せてもらって河を行く。上流から流れてくる死体をカラスが啄んでいるのを見た。凄いことのようだがその場にいるとなんとなく納得できる光景だ。荒野に浮かぶ赤い日の出の太陽を見ると信心のない人でも手を合わせたくなる。そんな感じの雰囲気だった。ここではあまり熱心に観光する気にならず、ただただガートでお茶を飲みながらガンガーを眺める。そうしていると通り掛かったサドゥー(修行者)が僕の額に灰のようなものをつけてお祈りしてくれた。

 

 そしてヴァラナスィーの後はブッダが初めて説法したという仏教の聖地サールナート(鹿野苑)へ、さらに列車に乗ってブッダが悟りを開いた場所、仏教第一の聖地ブッダ・ガヤーに向かう。4大仏跡のうち、唯一ブッダ入滅の地、クシーナガルに行けなかったのが残念だ。ブッダ・ガヤーには日本人にターゲットを絞った土産物屋が多く、彼らに付きまとわれたので居心地は良くなかった。また、ブッダ・ガヤーの日本寺の隣には新しく大仏が作られていた。これも俗っぽくて景観に合っていない。聖地と言ってもいろいろだ。 それからはパトナーを経由して国境の町ラクソウルへ。国境でネパールのヴィザを取り直してネパール側の町ビールガンジに入る。一晩走って12日朝、カトマンズ着。

 

 そして1月14日、日本に向かう飛行機に乗る。関西空港までのネパール航空の直行便。

 

※この文章は所属していた大学院のHPに掲載されたものの転載です。

 


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