
アジア−中東横断の旅(その2)
〜ネパール・インド・パキスタン編〜
■1996年9月 カトマンズ 【ジャンムー→カトマンズ(徒歩+バス)】
中国−ネパール国境は歩いて越える。国境が近づくにつれ、トピー(ネパールの伝統的な帽子)をかぶった人が目につくようになる。川の上に橋があり、その真ん中が国境。
ちょうど地震のあった後で、最初の町であるコダリまでの道ががけ崩れで分断されている。分断された区間の間をトラックや車が往復しているが、みんな足元を見て運賃をふっかけてくる。あまりにも法外な値段のものは無視して意地で歩く。
コダリからバスに乗り、途中のバラビセで乗り換え、日の暮れた頃、カトマンズに到着。たまたま出会った客引きに紹介してもらったホテルに泊まる。2ドルくらいの安宿なのに、結構きれいでお湯も出るところに当たる。幸運に感謝!
インドのビザを申請する。日本にあるインド大使館からの連絡がないとビザが発給されないのでひたすら待つ。結果的にはいい休憩になった。この間、タメル地区にある「味のシルクロード」という日本料理屋と、「モモ・スター」というチベット料理屋にハマり、ひたすらそこに通って過ごす。
今回、2回目のネパールだったこともあり、カトマンズから直接インドのデリーを目指す。
■1996年9月 デリー 【カトマンズ→デリー(バス)】
風邪をひき、少々休憩。デリーの中をぼちぼちと観光する。
また、ここでイランのビザを取る。イランのビザはパキスタンでは取れないとの情報があり、ここでは外せない手続き。
日帰りツアーでアグラに行き、タージ・マハルを見る。凄い建物であったのであろうが、疲れていたので残念ながらあまり記憶に残っていない。
■1996年9月 プシュカル 【デリー→プシュカル(バス)】
デリーからバスに乗って西に向かう。プシュカルには池があり、そこが有名なのだけど、あまりきれいでない。ヒッピー風の外国人が目立つ。
■1996年9月 ジャイサルメール 【プシュカル→ジャイサルメール(バス)】
ラジャスターンの沙漠でラクダに乗ってみたい、と思ってさらに西を目指す。
バスから降り立ったとたん、ものすごい数の客引きに囲まれる。とりあえずその一人について行きチェックイン。しかし、ものすごく小さい窓とくたびれたベットがあるだけの小さな部屋。
夜は尋常じゃなく暑い。他の外国人は屋上で寝ていた。
1泊2日でラクダツアーに参加。ガイドのオヤジがチップをくれとうるさいのを除けばなかなか快適。夜は沙漠の上にマットを敷いて寝る。が、夜中に糞ころがしの襲撃を受けて目が覚める。
■1996年9月 デリー 【ジャイサルメール→ジョードプル→デリー(バス+寝台車)】
沙漠の中を走って「青の町」ジョードプルに着。夜行の切符を買い、市内を観光する。途中で英語の上手な子供に声をかけられ、その子の家で紅茶をご馳走になる。
町の青色が本当にきれいで、城もいい感じ。ここの町はかなり気に入る。
夜、寝台車に乗って翌朝にはデリーに到着。
■1996年9月 マナリー 【デリー→マナリー(バス)】
デリーから北に向かう。マナリーにはたくさんのチベット系の人がいる。寒い!でも、緑が多くて景色がいい。
ちょっと怪しげなすき焼きを売る店がある。硬めの豆腐が入っているがまずくはない。町外れではイスラエル人が羽目を外して大騒ぎしているらしく、町の人のイスラエル人に対する評判がよろしくない。
■1996年9月 ダラムサラ 【マナリー→ダラムサラ(バス)】
睡眠薬強盗に遭う。
道中、縁あって宿探しを手伝ってあげた父子の子供がくれたクリーム・サンド・ビスケットを食べたのが運のつき。。気づくと24時間後、病院のベットの上で点滴を打たれている。足もふらつき、意識がはっきりしない。とりあえず報告に行った警察署でひどく気の毒がられる。
バックパックに隠してあった20ドルが全財産。宿のチベット人のオーナーは宿代も飯代もタダにしてくれると言う。弱っている時の人の好意は本当に身に染みる。
薬の後遺症のためか体は重いが、とにかくトラベラーズチェックを再発行すべく、デリーに向かう。
幸い、パスポートが無事で、かつ被害届けに行ったデリーの日本大使館の支援もあってトラベラーズチェックはすぐに再発行できた。再びダラムサラに戻り、宿のオーナーにお礼する。
ダラムサラの町で助けてくれた村の人、日本人留学生のTさん、Sさん、TC再発行でお世話になったデリーの日本大使館のIさんに感謝。
しかし、人の第六感とは本当にあるもの。ビスケットを見たとき、直感は「絶対食べてはダメ」だったのに、理性は「自分に恩のあるこの父子が自分を陥れるはずはない」との判断。これからは自分の動物の部分を信じようと誓う。
■1996年9月 アムリトサル 【ダラムサラ→アムリトサル(バス)】
シーク教の聖地、ゴールデン・テンプルに泊まる。
寺院の一角にマットが敷いてあり、外国人でも泊まれる。食事も出る。カナダ人のヒッピー風の男と食事に行くと、外国人はもっと食えと、給仕係から山盛りの豆の煮込みとチャパティーをもらう。
シーク教徒の気前のよさ、親切さにちょっと感動する。
■1996年10月 ラホール 【アムリトサル→ラホール(バス+徒歩)】
いよいよパキスタン。八百万の神の住む国から、ただ一つの神の住む国へ、
ヒンドゥー文字の世界から、アラビア文字の世界へ、
インドとパキスタン、人々の見た目は同じだけど、ここの国境の持つ意味は大きい。
インド国境からパキスタン国境までの数キロを歩く。普通の人はリキシャーに乗るので、変な目で見られる。パキスタン側のイミグレでも「あなた、さっき歩いてた人ですね?」と言われてしまう。
そうこうするうち、係官がいきなり闇両替の話を持ちかけてきた。こんな公の場でおかしいと思って断る。変に応じたりして、言いがかりをつけられても困る。
ラホールではYWCAに泊まる。が、ボロくて汚い。これまでの道中、パキスタンの宿には泥棒やらホモが出ると聞いていたので、部屋に入ると窓やベットの下を確認。それでもなんとなく落ち着かないので、靴を履いたまま寝ることにする。
ラホールの博物館は「断食する仏陀」の像が有名。しかし、自分はそれよりも別の仏像に感動する。
壁の高めのところに上半身のみの像が架けられていて、観客を見下ろすような位置にある。確かに、確かに仏像だけど、顔や肩の筋肉はまさにギリシア彫刻。ものすごい迫力を感じる。
これを見たとき、思わず鳥肌が立った。
■1996年10月 ラワルピンディー/イスラマバード 【ラホール→ラワルピンディー(バス)】
イスラマバードは新しい都市だけに、妙に区画が整理されている。シャーファイサル・モスクも、モスクという名にふさわしくないほど近代的なデザインになっている。
ここまで来て、「地球の歩き方 パキスタン編」にはそれほど情報がないことに気づく。人から聞いた話などをガイドブックの中にメモしていく。パキスタンを出たら誰かにあげようと思いつつ。
ラワルピンディーはダウンタウンっぽい感じがする。町も人も、ごちゃごちゃしている。
ここから日帰りでタクシラに行く。乗り合い小型バスの代名詞が「スズキ」となっているのが面白い。タクシラでも割と頻繁に走っているので、これを捕まえながら観光する。
地味だけど、なかなか味わいのある遺跡?のような気がする。
■1996年10月 ペシャワール 【ラワルピンディー→ペシャワール(バス)】
泊まった宿は駅の近くのうなぎの寝床のようなバックパッカー宿。ただし、旅の途中で仕入れた情報では泥棒宿という話もあり、少々荷物の管理に気を使う。と、言っても、取られるようなものはないのだけど。
アフガニスタンが近いので、アフガン系と思わしき人々も多い。
夕方、宿の向いにティッカ・ケバブを売る店が現れる。道路脇にテーブルとイスが置かれ、そこで食べる。子供がどこからか持ってきた焼きたてのナンを出してくれるのだが、これが旨い。
翌朝はそこにナンとヨーグルトと緑茶の朝食を出す店が出る。それも試してみるが、これまた美味。
■1996年10月 サッカル 【ペシャワール→サッカル(電車)】
ペシャワールから電車に乗る。てっきりサッカルまで真っすぐに行けるのかと思ったが、結局はラホールまで戻ることに。
サッカルでは宿が見つからなくて困る。みんな、満室だと言うのだが、あまりにも同じような対応が続くので、もしかして宿泊拒否に遭っているのではないかと感じる。
ある宿で空き部屋があるというので見に行くと、オヤジが二人いる! 相部屋はいやだと言うと、どうやら違っていたらしい。結局、3人部屋を一人で使う。
ラールカナーからモヘンジョ・ダロを目指す。
この近辺には誘拐なんかの犯罪があると聞いていたので少し緊張する。なるべく目立たないようにするが、バスに乗るとアジア人はどうしても目立ってしまう。周囲からの視線が痛い。
ちなみにパキスタンのバスでは男性は前から、女性は後ろから乗る。そして、男性は必ず女性に席を譲らなければならない。なので、若い女性がためにかなり高齢な老人が席を譲る、という光景もある。
モヘンジョ・ダロの遺跡にはあまり人の気配がない。遠くのほうで遺跡の修復をしていると思われる男性が一人いるのみ。ちょっと警戒しながら遺跡を巡る。規模も大きいが、都市計画がしっかりされているような印象を受ける。
サッカルの駅で電車を待ちつつ、待合室にある椅子で少し眠る。すると、ユサユサゆすられるので目を開けると男が二人。「何か用?」と聞くと、「How are you?」とのみ英語を話す。かなり意味が不明だが、とにかく日本人をからかって見たかったのであろう。
■1996年10月 クエッタ 【サッカル→クエッタ(電車)+クエッタ→国境(バス)】
イランを目前に、クエッタで体調を崩す。あっさりしたものが食べたいのに、食堂ではプレーン・ライスを頼んでも油まみれのレーズン入りご飯が出てくる。
果たしてイランまでのハードな道のりを一人でこなせるか、、、とちょっと不安になってきていると、またもやの幸運に恵まれる。
ホテルを探しているとばったり日本人バックパッカーに遭遇。行く方向も同じ。助かった。
ここからイラン国境まで行くバスは最悪の乗り物だった。道が悪くてゆれるのはまだいい。飛び跳ねて上の棚に頭をぶつけるのもまだ我慢できる。でも、夜中にユーロビート、しかもウルドゥー語のカバーを大音量でかけるのはやめてくれ、、、と思っていると明け方に国境に到着。
朦朧とした頭で闇両替に挑み、見事、ボラれる。我ながら成長しない、この点は。