アジア−中東横断の旅(その3)

〜イラン・トルコ・シリア編〜


<イラン編>

■1996年10月 バム 【国境→ザへダン→バム(バス)】

 国境を越える。そこで待つのは立派なバス!イランでライセンス生産されたメルセデス・ベンツのもので、かなり快適。かつ、道路がきれいに整備されているので、バスは流れるように、飛ぶように走る。

 また、店からペットボトル入りの水が消える。なぜなら、水道の水がそのまま飲めるから。しかも、その水がうまい。

 イランのガイドブックはロンリープラネット(英語)や旅行人の出している「旅行人ノート アジア横断」などに限られている。こういった情報は、旅の途中で出会った人にコピーさせてもらったり、手書きでノートに書き写したりして対応。町の大まかな地図や、安宿の位置などが分かるだけでも、ずいぶんと助かる。

 途中、ザへダンの食堂で食事する。書かれたメニューは読めないので、厨房の中で料理を見せてもらう。チキンの煮込みと、普通の白ご飯を注文する。パキスタンのメシのように脂っこくなく、味付けもいい。再び元気が沸いてくる。

 バムの遺跡は素晴らしい。旅の途中で会った人はバムを「風の谷」と呼んでいたが、その雰囲気はある。大きな砂の城の周りに、たくさんの住居跡などがある。遺跡の周りには緑が広がっていて、きっと最盛期には多くの人口を養ってきたのであろうと想像できる。

■1996年10月 シラーズ 【バム→シラーズ(バス)】

 シラーズからぺルセポリスを目指す。ぺルセポリスとは「ペルシャ人の都」の意味。2500年以上前、アケメネス朝ペルシャが建設した。ゾロアスター教の神の絵や石に刻まれている。

 エラム庭園にて休憩。バラの花が咲いていて気持ちのいいところ。紅茶もうまい。

 イランは旅人にとって、とても快適なところ。

 まず、物価が安い。そして清潔。特にトイレ。途上国のトイレは汚いのが当たり前のようなところがあるけれど、イランは違う。

 さらに安全。秘密警察が活躍していて、住んでいる人には窮屈なところがあるのかもしれないけど。

 それでいて何より、見所が多い。ペルセポリス以外にも、町中のモスク、公園、そして町の作りそのものも非常に興味深い。

■1996年10月 ヤズド 【シラーズ→ヤズド(バス)】

 イランの国内のバス移動は極めて快適。(自分は試す機会がなかったが、列車による移動もかなりいいとのこと。また、飛行機も安く利用できる。)

 ヤズドはゾロアスター教の聖地。今でも神殿(?)では小さな火がちろちろ燃えている。古代の人は沙漠に燃える「火」の中に、恵みの神と破壊の悪魔を共に見出し、そこから二元論がはじまったということがなんとなくわかるような気がした。

 郊外には「沈黙の塔」がある。これはゾロアスター教の寺院跡で、かつては鳥葬が行なわれていたらしい。土漠の中に突然現れる感じのある大きな丘の上にある。

■1996年10月 イスファハン 【ヤズド→イスファハン(バス)】

 イスファハンは16〜18世紀に栄えたサファビー朝の首都。かつては「世界の半分」と称えられるほどに繁栄した。現在でもその美しさにより「イランの真珠」と呼ばれる。

■1996年10月 テヘラン 【イスファハン→テヘラン(バス)】

 在テヘラン・シリア大使館でシリアのビザを申請。担当官による面接もあり、いろいろと質問されて、最後に「Occupied Palestine(パレスチナ占領地=イスラエル)に行ったことがありますか?」と聞かれる。実はあるのだが、ここは「ありません」と答える。すると、にっこり笑って「Welcome to Syria」と言い、ビザをくれた。

 ヨルダンのビザもここで取る。大使館への途中、道に迷い、道行く男性に尋ねると通りがかりの女性について行けと言う。女性は親切に大使館に案内してくれた。後にも先にも、イラン女性と話したのはこのときだけ。

■1996年10月 マシュハド 【テヘラン→マシュハド(バス)】

 シーア派の聖地のひとつのマシュハド。イマーム・レザー廟というのがその信仰の中心。祈る人、泣く人、叫ぶ人でごったがえす。皆、聖者の棺に泣きつくようにして祈る。

 そろそろ寒くなってきたので、上着を買うことにする。どうせ買うなら日本でもカッコよく着れるものを、と思うが、なかなか無い。どうしても、中東のおじさん、という感じになってしまう。結局、まあそれもよしとして、8ドルでジャケットを購入。男物の服がパッとしない一方で、女性の服はとても華やか。この国の女性が外出するときには皆、黒いヴェールで全身を覆っているのでその下の服までは分からない。意外に思う。でもきっと、黒いヴェールの下は世界の他の国々と同じく、女性らしくお洒落しているのだろう。

■1996年10月 バンダリ・アンザリ 【マシュハド→ラシュト→バンダリ・アンザリ(バス)】

 カスピ海沿岸の町。ここは地中海性気候なので緑が多く、日本の田舎のような風景が広がる。

 市場には魚も豊富。港にはロシア語の書かれたタンカーが停泊している。

 驚いたのは年配の人に英語を話す人が多いということ。昔、イランとアメリカが仲良しだった頃、軍の訓練でアメリカに駐在していた人がけっこういる。町中でも、「俺はかつて船乗りだった」という人に会う。歴史を感じた。

■1996年10月 タブリーズ 【バンダリ・アンザリ→タブリーズ(バス)】

 タブリーズでは巨大な遺跡「アルゲ・タブリーズ」に感動する。でかい門のような形をしている。

 ここからは乗り合いタクシーでマクーという町を抜け、国境に到達する。

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<トルコ編>

■1996年11月 ドゥバヤジット 【タブリーズ→マクー→ドゥバヤジット(乗り合いタクシー)】

 歩いて国境を越える。とにかく寒い!アタチュルクの胸像、アララト山がお出迎え。

■1996年11月 イスタンブール 【タブリーズ→マクー→ドゥバヤジット(乗り合いタクシー)】

 イラン国境の町、ドゥバヤジットからバスで25時間でイスタンブールに到着。ビンのコーラ(コカ・コーラ)が一本40円になってとても驚く。イランではイラン製のザムザム・コーラが一本4円だったのに。。。

 あまりにショックに、トルコを早めに切り上げることにする。

 イスタンブールの町自体はみどころも多く、メシもうまいのでいいところなのだけど。物価も安い。ただ、イランから来た旅行者には相対的に高く感じる。

■1996年11月 アンタクヤ 【イスタンブール→アンタクヤ(バス)】

 モザイクのある博物館がきれいでとてもよい。ここからバスでアレッポに向かう。

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<シリア編>

■1996年11月 アレッポ 【アンタクヤ→アレッポ(バス)】

 トルコからは同じバスで国境越え。アレッポの城跡、スークは歴史を感じさせるものだった。

■1996年11月 ラタキア 【アレッポ→ラタキア(バス)】

 町中の映画館で「Beyond Rangoon(邦題 ラングーンを越えて)」というアメリカ映画をやっていたので見る。夫と息子を強盗に殺されたアメリカ人女性がビルマを訪問、軍事政権の暴力によって徹底的に弾圧される民主化運動を目の当たりにし、生き方が変わっていくという映画。シリアも独裁政権で、民主化には程遠い国なのになあ。。。

 ここからバスに乗ってサラディンの城を見に行く。切り立った崖の上にある城で、さぞかし落とすのは大変であったろうと想像してみる。が、一方でどうやって水や食料を調達していたのかという疑問も膨らむ。場内には水をためた貯水槽(今でも水がある!)があり、いろんな工夫があった様子。

 さらに日帰りでウガリット(ラス・シャムラ)の遺跡を見に行く。ウガリット文字はアルファベットの原型となったそうな。

■1996年11月 ホムス 【ラタキア→タルトゥース→ホムス(バス)】

 ラタキアから海沿いの道を走り、タルトゥースに向かう。そしてそこから船に乗ってシリア唯一の島、アルワード島に渡ってみる。紀元前1200年頃、フェニキア人の勢力華やかなりし時代にはそれなりに栄えていたらしいが、今はのんびりとした漁村といった感じ。

 そこから船に揺られて陸に戻り、バスでホムスに到着。特に何があるというわけではないが、ちょっと休憩も兼ねてのんびりと滞在する。

 ホムスから日帰りでハマに行く。オロンテス川にかかる水車で有名な町。

■1996年11月 パルミラ 【ホムス→パルミラ(バス)】

 「中東の遺跡3P」と言えば、イランのペルセポリス、ヨルダンのぺトラ、そしてシリアのパルミラ。

 大きな遺跡で歩いて回るだけでもかなり疲れる。おまけに、ついに雨季がやってきたようで、冷たい小雨が降り続ける。

 ここからダマスカスに向かうバスに乗る。が、途中で故障。でも、運転手は慌てず道端で修理している。こっちに向かい、「日本の車は素晴らしい。ヒュンダイの車はベリーグットだ!」と言われる。

 まあ、このくらい遠くまで来ると、日本も韓国も同じようなものか。。。

■1996年11月 ダマスカス 【パルミラ→ダマスカス(バス)】

 バックパッカー宿で有名なマルジェ広場近くのアル・ハラメイン・ホテルに泊まる。が、ダニの襲撃に会う。首の周りや足首など、肌の露出しているところがとても痒い。

 

(この続きは現在作成中です。)

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